Cogito ergo sum

社会における様々なトピックに関して個人的な雑感を綴るブログ

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性教育と経済教育における日本の学校教育の限界

今日、たまたまヤフーニュースに出ていた「タブー視される日本の性教育 今のままで良いか?」という記事を読んだ。昔から頻繁に叫ばれている問題ではあるけれど、まだまだ解決からはほど遠いようだ。

個人的にずっと関心を持っていたテーマではあるのだけれど、誰かに面と向かって持論を話すのはやはり少し抵抗がある。そこで、ここに少し自分の意見を書いてみようかなと。総論を語ると長くなるので、一般にあまり議論されることのない点のみに焦点を絞って書いてみようと思う。

ついでに、同じく「教員の人生経験依存性」の強い話として、投資教育等の経済教育についても軽く触れたいと思う。

 

外国の事例など参考にはならない


まず、「日本の性教育は遅れている」とよく言われるわけだが、これはもっともだと思う。私も大昔に中学校や高校でそういった教育を受けたわけだが、今振り返っても、あんなものは何の役にも立たなかった。例えば、体液がついた状態でコンドームをつけると案外外れやすいとか、ヒトパピローマウイルスは型によってはかなり怖いものであるとか、そういうもっとリアルな部分で重要になることは他にいくらでもある。

ところで、この手の議論をする際にはよく外国の事例が引き合いに出されるわけで、当該記事においてもフランスの例などが紹介されている。

ただ、そういうのはどうも私にはナンセンスに思えてならない。はっきり言って、何の参考にもならないどころか、トンチンカンな方向に読者の思考を誘導しかねない危険性すらあると思っている。

フランスの社会システムは日本とは異なるし、フランスにおける「パートナー」という概念は日本のそれとはだいぶ異なる。ひいては、性行為の持つ意味合いも日本のそれとは異なると言っても言い過ぎではないと私は考えている。

非常に大雑把に言うのであれば、フランス人にとって性行為は結婚とは無関係だが、日本人にとってはそれらは少なくとも無関係とまでは言えない程度には相関関係を持っている。

日本人の思考回路が年々変化していることは承知の上だし、行為に至るまでのプロセスもシンプルな方向にシフトする傾向にある気がする。ただそれでも、現在でも日本ならではの要素が非常に多く存在しているのが現実であり、この手のデリケートな話に関しては、日本社会及び日本人に十分フィットしたやり方の模索が必要不可欠である。

 

教育に質に関する教員たちの人生経験依存性


先に結論を書いておくが、私は、日本の性教育を大きく変えることは不可能だと考えているし、そもそもその必要もないと考えている。ただ、もっと多めに授業時間数を確保し、本当に大事なことだけはしっかりと教えるべきだと思う。愛がどうとかいった感情論は抜きにして、避妊の重要性、妊娠や性感染症(STD)の深刻なリスクに関しては十分に説明をする必要がある。というか、それが性教育におけるミニマムだと思う。別の角度から端的に言えば、本当に重要なのは性の低年齢化どうのこうのなんていう話ではなくて、コンドームをせずに行為をすることなのだ。それさえ守っていれば、中絶件数は少なくとも激減するはずである。この点をしっかり教えることは、現在の教員でももちろん可能であり、むやみやたらにオブラートに包んだ表現をせず、中絶手術が身体に与えるダメージ、STDの恐ろしさ等について、リアルな事例を交えつつ、十分な知識を与えることに努めるべきだ。

反面、よくこの手の議論において話題に上がる「愛と性」といった感情がメインになる部分に関しては、教員に無理強いをしない方が良いと思う。そもそもテキスト化して授業の質を均一に保つのはあまりにも難しいし、教える側の人生経験に依る部分も非常に大きいからだ。例えば、私の知人に30代の中学校の男性教員がいるが、彼には異性との交際経験はなく、そういった行為の経験もない。

こう書くと、極端な例だと思われるだろうか?

近年、性の低年齢化は確かに進んでいると思うが、正確には「二極化」であり、例えば、25歳や30歳になっても経験がない人も明らかに増えているように私には見える。晩婚化、少子化と言われているわけだが、つまりは、仮に行為の経験自体はあっても、結婚の経験がない、親になった経験のない人がどんどん増えているということである。

いろんな考え方があるのはわかるが、個人的には、批判覚悟で荒っぽく書くのなら、結婚の経験がない人に「他人と共に生きることの喜びと難しさ」は絶対に理解できないと思うし、子供を育てたことのない人に「性行為の本当の意味と責任」など絶対に理解できないと思っている。

だから、人生経験豊富な教員が、じっくりと語りかけるような授業には意味があると思う。しかし、こんなのはもう教員の職務の範疇をはるかに超えている。少しだけ理想論を混ぜることが許されるのであれば、これは多分、親の仕事なのではなかろうか。学校や教員の責任ばかりがクローズアップされるが、子供を持った以上、親にも教育の責任がある。別の角度から言えば、夫婦関係を良好に保つことも、子供を持ったならなおさら、ある種の義務と言えるのかもしれない。少々保守的過ぎるかもしれないが、これが私の考えだ。

 

経済教育について


ついでにもう一つ、関連する話題として書いておきたいことがある。学校教育に導入すべきだと言われている投資教育等の経済教育に関してだ。

日本の子供達に「将来なりたい職業」を聞くと公務員が上位にくるが、こんな国は日本だけだと言う人がいる。経営者や投資家等の財を成そうという野心の強い人材が育たないのは日本の教育のせいだと言う人がいる。そして、彼らの中には、「投資を含めたもっとリアルなお金の話を学校教育に取り入れるべき」と言っている人が少なくない。

はっきり言って、これはかなり重要な議題だと私は考えている。社会人として生きるということは、すなわち経済を回すことであり、経済的豊かさの追求は資本主義経済における原動力だからである。どうも日本には、個人主義思想の進んだ現代であっても、お金の話はなるべく控えるべき、といったわけのわからない美意識(?)のようなものがあるが、個人的には奇妙で仕方ない。

ただ、やはりこれについても、学校の授業で何とかするべき、と注文をつけるのは明らかに間違っている。同意していただける方がどの程度いるかわからないが、教員ほど保守的な社会人はそうそういないと私は考えているからだ。連中が株式投資やFX、起業のメリットやリスクについてなど教えられるはずがない。これもまた、案外、いい授業をするには本人にある程度の経験が必要になるテーマなのだ。

例えば、「スワップが美味しいわけだから、米ドル/円は100円割ったらロングのポジションを持って、あとはずっと放置すればいいだけですよね? FXなんて楽勝じゃないですか! もちろん、80円くらいまで下がったとしても耐えられる程度の額に限ってやるわけです。長い目で見れば、ほぼ確実にプラスになりますよね?」なんて言う生徒がいたとして、果たして中学校や高校の社会科の教員はまともに答えられるのだろうか?

もちろん、「70円や60円になる可能性だってある」なんていうのは私が考えている答えではありません。あえてここには書きませんが、実際に経験した者にしかわからないことがたくさんあるわけです。ですから、繰り返しになりますが、現行のもの以上の経済教育を学校の教員に期待するのは間違っています。経済が何たるかは、民間企業で働いているお父さん連中の方がよほど詳しいでしょう。

 

まとめ


以上、二つのテーマについてざっと見てみたわけだが、言いたいこととしては、我々は教員に期待し過ぎだということ。そして、教員の人生経験に強く依存した分野に関する教育を強いるのは間違っているということだ。

あとは、教育というのは学校の先生たちだけに課されたものではなく、親の義務でもあるということ。親が自ら子供に教えてあげられることは非常に多いので、もっともっと主体的に、子供に教科書からは学べないことを伝えてあげてほしいなと。

日本では、教育問題を議論する際にはなぜか学校の教員と教科書の内容ばかりが注目されるが、もっと広い視野で考えるべきだと思う。家庭における教育はもちろんのこと、例えば、性教育に関して言えば、性を売ることが合法な日本の法律についても十分な再考が必要だろう。「性教育は性の低年齢化を招く」という意見があるが、個人的には、性サービス産業が合法であることの方がよほど強い影響を持つのではないかと考えている。まあこの辺に関しては賛否両論あるし、ここで詳細を議論するつもりはないが、とりあえずもっともっと広い視野で考えないとなかなかいい案には辿り着けないだろう。

回りくどい方法でニュース記事にケチをつけているだけと思われるかもしれないが、「遅れている」とか「停滞している」と声を上げる人がいるだけで、どうも一向に本質に近づいてはいないように感じ、今回筆をとった次第である。